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Q:スタッフの方々に伝えた言葉で特に印象に残っているものはありますか?
「アイヌ描写について原作を信じてください。」ということですね。先日も、原作のアイヌ語監修であり実写でもご協力いただいた千葉大学名誉教授の中川裕先生と再会した際に、おっしゃっていたのですが「自分が知る限り『ゴールデンカムイ』を嫌いと言っているアイヌはいない」とのことでした。
若いアイヌの方たちにも非常に良い影響を与えていると。
もちろんアイヌルーツの方にはいろんなイデオロギーの方がいらっしゃいますのでいろんな反応、意見を目にすると思いますが、恥ずかしいものは描いていないのでどうか原作を信じて欲しいと久保監督にはお伝えしました。
先日、撮影にご協力いただいた方たちの試写会が札幌でありまして会場はアイヌルーツの方たちも多数いらっしゃったらしいのですが映画が終わったら、あちこちから拍手が起こったと聞いています。
</引用1>
<引用2>
Q:キャストの皆さんについて、他にも注目してほしい点などがあれば教えてください。
演技とはちょっと違うんですが、役者さんという存在として注目なのは、アシ(リ)パの大叔父役の秋辺デボさんですね。実際にアイヌの血をひく方で他の作品でもアイヌの役を演じている方です。
映画業界では昨今、「マイノリティの役はマイノリティに」という意見がありますが、今作品ではデボさんのようにアイヌルーツの方も出演されています。
なにより、アイヌルーツの方々というのは本来、役者業ではなく、工芸家として世に出ている方が圧倒的に多いので、適材適所として、この映画においては演技よりも、衣装や民具や村のセットの制作に大きく関わっています。決して映画というのはキャストだけで成り立っているものではありませんので、もっと一歩深い考えで、この映画を判断していただきたいですね。
</引用2>
※各下線は引用者(豆倉まめ蔵)によるもの
まずわたしの意見としては、「アイヌのキャラクターにアイヌを起用しなかった(できなかった)ことは、仕方のない部分もあると理解できるが、それを”適材適所”と表現するのは危うくないか」、ということ。
これについてはTwitter上でもいろいろ反論があって、主たるものは「そもそもアイヌが少ないのだから仕方がない」「アイヌだからと言って起用するのは逆に差別ではないか」「俳優として参加することを工芸よりも上に見ている」。
「そもそもアイヌが少ないのだから仕方がない」については、なぜアイヌが少なくなったのかという視点に欠けている。アイヌを迫害し、その数を減らす同化政策を敷いていた和人側が「数が少ないから」と言って不利益なあつかいをすることは不当である。現実として、キャスティングの場合に数が少ないことが不利に働くのはどうしようもないが、それを正当化する必要はない。
これは野田サトル氏のインタビュー内(引用2)での発言「アイヌルーツの方は工芸家として世に出ている方が圧倒的に多い」と同じ引っかかりを覚えるところ。作中でアイヌと設定されているキャラクターにアイヌルーツの役者をキャスティングできなかった(しなかった)ことについて、なぜアイヌルーツの役者が少ないのか、なぜ工芸家が多いのか、ということを掘り下げずに「適材適所」と言ってしまうのは危うい。工芸というのは世界的に少数民族の主要な仕事となっていることが多い。さまざまな理由があるだろうが、そのなかのひとつに「多数民族の仕事から排除されているから」というものがある。多数側・社会の主流となっている側の民族に、少数民族という異物が多数民族の自分たちのなかへ入ってくることは許さない・嫌がるが、自分たちから離れたところで、自分たちを楽しませるものをつくっているぶんには許容する、という姿勢があるからだ。少数民族が、少数民族らしく、魅力的な異文化と新鮮な体験を提供するのはいいが、ひとりの人間であることは受け入れない。そういう状況があるなかで、これを「適材適所」と言ってしまうことに、いまもつづいている差別の歴史を無視していると感じる。
また、ひとりのアイヌを起用したことを傘にするようなことも、やはり危うさを感じる。言葉じりをあげつらうようだが、これが単に「ひとりだがアイヌルーツの役者に参加してもらえた」という話なら「そうかー」で済まされるのだが、どうにも野田サトル氏のニュアンスは「こうやってひとりは参加させているんだから、それでいいだろ」と言う感じ。
わたしとしては人数の問題ではなく、なぜアイヌを和人が演じているのか(アイヌがアイヌを演じられていないのか)について、それを正当化せずしっかりと答えるべきであったと思う。たとえばハリウッドでは日本人役を中国系の俳優がやるということがあるが、とくに日本についての映画ではないときなら「まあ役者の数が少ないからね」とは思う。しかしこれが「アメリカ人と日本人のバディもの!」といううたい文句で日本人役が日本人もしくは日系人でなかったら、わたしは「何で?」となってしまう。そこが重要なんじゃないの? と。
実際にアイヌを起用するか、というのはむずかしい問題になってくる。アイヌであることを明かし、顔出しして活動することにリスクがある現状がある。しかしそのリスクは和人がつくりだしているもので、和人がつくりだしたリスクに乗っかるようにして、アイヌのキャラクターを和人が演じることを正当化すべきではないはず。
わたしの結論としては、「アイヌのキャラクターにアイヌを起用できないことは理解できる、しかしそれを正当化するべきではない」というところ。
「逆に差別」については、アイヌと設定されているキャラクターにアイヌを起用することが問題とは思わない。アイヌと設定されているのだから、むしろ当然そうするべきだと思う。これは日本人という設定のキャラクターに日本人を起用することが差別ではないのと同じ。そして、アイヌと設定されているキャラクターに和人を起用することについては説明が必要だと思う。
そうやって、自分たちの政府が過去に行なってきたことや綿々とつづいてしまっている差別について考える必要があるのではないか。読者・観客もそうだけれど、作り手側はなおさら考えなければならないのでは。
「俳優より工芸を下に見ている」というのは、わたしがそもそもアイヌと設定されているキャラクターはアイヌが起用されるべきであるはずと考えているから、前提がズレている。工芸には携わっているからという理由で俳優としては起用しない・しなくてもいいというならそれはおかしいだろうと思う。数合わせで起用するべきだと言っているわけではない。
つぎは引用1のほう。これは引用2に対する意見とくらべてだいぶ言葉じりをあげつらう感があるのだけど、「「自分が知る限り『ゴールデンカムイ』を嫌いと言っているアイヌはいない」とのことでした。」ということだが、「作り手に”あんたが監修している漫画、どうかと思う”といちいち言いに来る人間、いる!?」ということ。しかも世間で人気を博している漫画、否定的な意見は言いにくい。そもそも、学者という権威も立場もある人間に対して、あれこれ言える人間のほうが少ないのではないか。
それに、この世に「嫌いと言っている和人はいない」と言える漫画があるだろうか、というのもある。それをアイヌに対しては言ってしまう。民族でくくって、しかも好意的だというのはだいぶ乱暴ではないか。この発言をおおやけのインタビューでしてしまうところに、ものすごい危うさを感じてしまう。主語がデカいうえに、自分は当事者ではない。「嫌いと言っているアイヌはいない」と感じるなら、それは自分が見えていないだけではないか、と振り返る必要があるのではないか。
「いや、次の文章で全員が好きというわけではないと言っているじゃないか」とTwitterで言われたが、個人的にはこの但し書きのようにあげられている「アイヌルーツの方にはいろんなイデオロギーの方がいらっしゃいますので」というのはさらに民族くくりを最悪にしている。要するに「ゴールデンカムイを好きでないアイヌは、そのイデオロギーによって嫌っているのだ」と言っている。漫画のできや漫画で描かれているアイヌ文化の真実性に関わらず、イデオロギーによって嫌われている。イデオロギーとはちょっとはかり知れないくらい大きな概念だが、主に政治的・宗教的思想や観念として日本ではつかわれている。
嫌われる理由を漫画ではなく漫画を嫌うひとに求めてしまうのは、「そいつらがおかしい」と言っているようなもので、表現者としてそんな無責任な態度があるか? とわたしは思ってしまう。
アイヌ差別問題については、アイヌルーツの人びとに不利益をもたらすものであるが、問題を抱えているのは実際はアイヌではなく和人の側であると思う。だから、和人側は、アイヌルーツの人びとが、和人に対して「これは差別だ」と声をあげるのを待っていては遅い。声をあげたばかりに、「いったいなにが差別だというんだ?」「差別とは具体的にどんなことだ? どんな差別をされたか説明しろ」「差別なんかないだろう、嘘をついている」「おまえは本当にアイヌなのか?」「アイヌは先住民族ではない、アイヌという本当は民族は存在しない」というリプライにさらされるアイヌルーツの当事者がTwitter上にも複数いた(=そういうツイートを投げつける和人が大量にいた)。アイヌルーツの人びとに問題提起を押し付けていないで、和人がまず考えていかなければならない。だからといってそれが行き過ぎて当事者不在になってしまってもよくないのだけれども。
Twitterで「アイヌの人たちがなにも言っていないのに騒ぐな」というリプライを送られたので、これ↑も書いておく。