忍者ブログ

豆鉄砲

サイトの更新情報や萌え話など。

萌え話:祝真IIIノクタンリマスター発売

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

萌え話:祝真IIIノクタンリマスター発売

祝うのがおせえよ。
 まあPS2版あるしな……という気持ちでまだ買ってはいないんだけど、フトミミさんが好きなので、これを契機に自分のTwitterログからフトミミさん関連のツイートを引っ張ってきたら「フトミミさんがテトラカーン張った人修羅に気合い→突撃かまして4桁ダメージ叩きだして死んだ」というのが目に入ってきて顔を覆ったね。そんなこともあった。
 わたしの好きなキャラの類型に「教祖型」というのがあって、フトミミさんはマジでソレなんだよね。好き。ほかにはP3のタカヤとかゴカムの鶴見とかもわたしとしてはこれ系に分類する。「心酔されている」「率いている」「ひとならざる雰囲気」というのが好きなんだね。

 でさ~フトミミさんなんですけどさ~、ほんとうにマネカタ以外に興味ないんだろうな。っていう感じがマジでいい。最高。人修羅のことも悪く思っているわけじゃないけど「助けてくれはしたけどしょせんは悪魔だし、マネカタのことはマネカタがやらねばならない」っていう考えがあったんじゃないかな。ほかのキャラクターは人修羅を利用しようとしたり、力をたのみにしたりするけど、あくまでフトミミさんは人修羅とそれなりに対等な関係を築こうとしている感があってそれもいいんだよね。まあこれはフトミミさんが誠意あるマネカタだからというわけではなくって、単に先生や千晶や勇みたいに「受胎前からの知り合い」というアドバンテージがあるわけじゃない、ヒジリみたいに少年である人修羅に対して「大人」という立ち位置でいられるでもない、はたまた氷川のようにいざとなれば打ち勝てると思うだけの軍勢があるでもないから、人修羅を利用することができなかった(失敗したときに敵にまわす可能性があり、そうなったら絶対に勝てない)、だからせめて対等であろうとしたのではないか、と思うけど。
 でも、そのフトミミさんが、千晶という絶対に勝てない強大な敵をまえにして、人修羅に媚びてくるのめちゃくちゃたぎるんだよな。きみはわたしたちを助けてくれるだろう? ほかの悪魔にはない心を持っているよな? って全力で縋ってくるの。すっごく萌えます。その手を意味もなく払いたい。ヨスガにくみするためではない、怒りをあらわにするフトミミさんがうつくしいから、千晶に殺させるくらいならこの手でかれを泥に還してやりたいから、わたしはその手を払うのだ。それにフトミミさんに味方してしまうと天使たちと戦っているあいだにフトミミさんがいつの間にか死んでいるからなあ。やっぱり「みなのものよ、ゆるせ……」と言って倒れるフトミミさんのことをかぶりつきでみたいんですよ。何島?

 そして、フトミミさんの前世……というかもとになった人間のことなんだけど、たぶんフトミミさんはそのことを気にしないだろうなと思うんだよね。あの少年の承認欲求から生まれたヒトガタであるフトミミさんのことを考えるとわたしはめちゃくちゃゾクゾクしてしまいますが、フトミミさんはマネカタだし、ボルテクス生まれなので人殺しの少年の罪深さというものがわからないんじゃないかな。罪を犯した人間であることはもちろんわかるけど、その深さまでは人間ほどには理解できない。
 逆にサカハギのほうは自分のもとになったのがあの男性の願望であることについてすごくイヤがりそう。受け入れないと思う。ショックを受けるとかはなくて、単に自分が何者かをほかから規定されるのを拒否しそうっていうイメージ。サカハギは被虐待者であり獲物であるマネカタという立ち位置からマネカタ殺しを繰り返すことで抜け出して、自分で自分の立ち位置をさだめたというキャラだと思うので。

 わたしはマネカタが大好きだったので、わたしの動かす人修羅はマネカタの世界のコトワリをひらくことを望んだんだけど、それは絶対に人修羅を許容しない世界だろうな。その世界にいくためにはマネカタとして生まれなおすしかないんだ。そうでなければボルテクスとともに人修羅が消えてしまうコトワリだ。そのコトワリはメグリという名で、変化することもない進化することもない停滞してめぐるだけの世界、創世のために屠るべき家畜を生き延びさせるためだけのぬるま湯の世界、ありうべからざる世界なのだとこう思いますよ。マネカタはボルテクスにマガツヒを供給するためだけに存在する家畜、家畜の呼び声にこたえる神などは存在しないのです。だからフトミミさんはマネカタとして、ヨスガのための生贄の羊としてささげられるしかなかったのだ。そういう運命。とても好き。

拍手[1回]

PR

コメント

忍者カウンター