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萌え話:扉間とマダラと柱間

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萌え話:扉間とマダラと柱間

千手サンドイッチ。いやそういうことではない。前回の萌え話のつづき。

 前回で扉間とマダラは百万回生まれ変わっても相いれないと思うという論拠を述べたわけですけれども(述べていない)、じゃあこの相いれないふたりの両方と相いれているというか好感をもたれている柱間という男はいったいなんなのかという。

 柱間はたぶん包容力が半端ないキャラなのだと思う。寛容力というか……そんな言葉ないよ。とにかく白黒つけずに灰色ですますことができる。扉間は灰色を受容できないことはないけどできれば白黒わけておきたいタイプで、マダラはもう完全に白黒つけたいタイプ。この点では扉間とマダラは気が合うのかもしれんな……でもたぶん白黒はっきりつけたうえでお互い別のほうを選ぶからやっぱり相いれないんだろうな……

 この三人における白黒がなんなのかといえば、実利・現実と夢・理想だと思う。扉間はまちがいなく実利と現実をとり、マダラは夢と理想をとる。柱間は夢と理想を胸に実利と現実に立ち向かっていくやつなんだね。扉間もまあ夢とか理想が嫌いなわけではなくて、でも実際問題現実をとるしかないからとっているにすぎないので、夢や理想をかかげる人間が嫌いなわけではないんだよ。ただ、夢や理想のために現実をないがしろにするのは嫌いなんだろうな。夢や理想が好きなぶん、それだけに走ってしまう短絡さ? みたいなものを扉間は忌むのだろう。なので、理想と現実のはざまで苦しみつつまえに進む兄者のようなバカは好きで、現実に見切りをつけて夢の世界へ逃げようとしたマダラのような人間は嫌い。

 そして柱間とマダラなんだけど、このふたりは夢についてしか語り合っていないんだよね。柱間とマダラの会話場面にはほとんど現実っぽい話は出てこない。ひたすら夢のような話をしている。柱間の回想くらいでしか仲良かった時代のふたりの会話が出てこないので、柱間の喋ったこと中心になるけど、子ども時代の「里をつくる」とか、「弟を殺すか自害しろ」で自害を選んだり、復讐のために暴走しすぎて自分の一族にすら人望がないマダラに対して「火影になるのはおまえ」と言ったり、さらに自分が初代火影になったあとにさえ「おまえが次の火影に」と、その時点ではありえないようなこと、長として選ぶべきでない選択肢、起こるはずもないようなことを柱間は口にしている。柱間はマダラといるとき、ずっと子どものときのように夢を見ていたし、見ていたかったんだと思う。マダラが柱間のように現実も理想もひとしく大事にしていく人物であったならこれは友人どうしのひとときの憩いであって、問題にならなかったけど、マダラは理想に生き夢に死ぬ男だから……戦い大好きの戦闘狂のくせに戦乱を忌む男だからよ……いびつな関係になってしまった。かなしいな。
 で、やっと柱間がマダラと現実を語り合うのは終末の谷での最終戦においてで、もはや遅すぎたという。柱間はマダラを殺したあと、理想をすこし捨てて、現実をすこしあつめて、白黒をすこしはっきりさせるようになって、そうすることで少年時代と訣別したのであろう。知らんけど。

 柱間は扉間といるときはわりと現実的、合理的思考を持つし、穢土転生に対しても「あまりよくない術」というだけで穢土転生の倫理ぶっこわれ性能に対してだいぶぬるい批判に留めるんだよね。扉間が大蛇丸のようなマッドサイエンティスト的気質(できるからやった的な)ではなく、やるべきことをやっているというだけだったからこの評価で済んだというのもあるだろうけど、柱間が夢や理想だけを重んじる男ではないからこの評価ができたともいえる。マダラはたぶん受け入れられなかったのではないか。そのマダラがまず穢土転生でこの世にもどるというのも皮肉な話だな。

 こう考えると、扉間は柱間の理想を持ちつつ現実的にも動ける、合理性も許容できるところが好きなんだと思うけど、マダラは柱間の理想を持っているところだけが好きだったのかもしれんな。扉間といっしょにいる「現実的・合理的な」柱間は嫌いなんだけど、柱間を嫌いだと認識したくないので、扉間のせいだ! と責任転嫁しもっと扉間が嫌いになっていくループに陥っていたらおもしろいね。

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