まえのデトロイトの記事が文句しか言ってねえのでマーカスの萌え話をしたためておこうと思います。
マーカスの萌えポイントはやっぱり「お坊ちゃま」なところにあると思う。じっさいは使用人なんだけど、カールがいろいろと薫陶をあたえているおかげで、妙に教養と気品、繊細さがあるというか……マーカスはプレイヤーキャラクターなので、プレイヤーが好きに選択肢を選んで行動させることができるんだけど、暴力的な選択肢を選んでも、マーカスはかならず悔やむようなそぶりを見せるわけだね。悔やむというか、その重さをかみしめるというか。暴力をふるってそれを正当化できる性格ではもともとないんだよ。だから目立たないところでは血に濡れた自分の手をながめてみたり、死んでいく仲間に寄り添ったりする。でも、アンドロイドの、ジェリコのリーダーとしては、プレイヤーが暴力的な選択肢を選んでいくかぎり、暴力を正当化する。自分にもとめられる役割とか自分が果たすべき役割を演じるのがうまいんだね。そういうアンバランスさがめちゃくちゃいいんだよな。
そして人間に徹頭徹尾ひどい目にあわされつづけたアンドロイドも少なくないジェリコで、基本的には人間を憎んでいるわけじゃないマーカスがリーダーになるという構図もおもしろい。たぶんひとによっては「なんでマーカスはカールのもとでしあわせだったのに、レジスタンス活動にのめり込むようになったの?」って理解できないところだと思うんだけど、わたしはむしろ、カールのもとでしあわせだったマーカスでさえ少しの手違いで地獄に叩き落されてしまう現在のシステムが問題だと思考できるのは、人間と個人的で良好な関係を築けていた過去があって、まだ人間を愛しているマーカスじゃないかと思う。たとえ奴隷主がよい主人で、そのとき幸福に暮らせていたとしても、奴隷制というものが存在するかぎり、奴隷の地位に置かれたものはつねに脅威にさらされつづけているということが理解できるから。
カムスキーがマーカスをカールに贈ったのは、友人としての贈り物という意味もあるだろうけど、芸術家であり、教養があって文化的で、かつ「自分の意に沿わない息子」がいるカールならマーカスを変異体に育て上げるだろうことを見抜いていたんだと思うな。
マーカス編の冒頭で、カールが朝食を食べているあいだは好きにしていろと言われるけど、「好きにする」なんて行動をアンドロイドはできないはずなんだよ。そもそも仕事をこなすためにアンドロイドはつくられているわけで、できるとしたら次の指示があるまで待機とか、別の仕事をこなしておくとかで、「好きにする」なんてアンドロイドの範疇を超えた注文なわけ。だってアンドロイドの好きなことなんてプログラミングされているはずがないんだから。でも、それを受けてマーカスは「ピアノを弾く」、「チェスをする」、「本を読む」という選択肢を選べる。前者ふたつは人間にきかせる、人間の相手をするということができるからアンドロイドにも意味があるけれども、本を読むというのは完全に個人の利にしかならない行為で、アンドロイドがする行動じゃないんだよね。だって、アンドロイドが本を読む必要なんてない、データをダウンロードすればそれですむ話なんだから。カーラが「わたしには何百種類も童話がインプットされてるのよ」と言っていたように、マーカスは有名古典をデータベースからインストールするだけでいい。でもマーカスは本を読むんだよね。ふつうのアンドロイドなら、たぶん人間の批評家や研究者の言を引いてくるだけで終わらせるだろうけど、マーカスは自分なりの感想さえ言う。それらはカールがマーカスに望んだ行動だからなのかもしれないけど、それでも確実に影響をあたえている。
カールとマーカスが暮らしはじめた当初とかめちゃめちゃ面白かっただろうと思う。カールはけっこう強引なので、マーカスが「それはアンドロイドにはできないことですよ」とか「それはアンドロイドには意味がない行為です」とか言っても「いいからやってみなさい」ですませてそう。絵も描かせてたしね。個人的には「ミスター・マンフレッド」と呼んでいたのを「カール」に変えさせていたらおもしろいなーと思うんだけど、カーラがトッドのことをふつうにトッドと呼んでいるので、家庭内で働くようなアンドロイドはファーストネーム呼びを基本とするみたいな仕様があるかもしれないな。でもマーカスはRKシリーズだから……プロトタイプだから夢を見るよ。頼むカムスキー! なんて散漫な文章だろうか。