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ゴカム:206話「ふたりの距離」

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ゴカム:206話「ふたりの距離」

きたきた~!!!! という展開。


チカパㇱとエノノカをみつめる源次郎の目がやたらにやさしい。源次郎はもう察しているのかな、チカパㇱはこれからあたらしい家族をつくっていくんだろうってこと。仲良く並んでいるふたりがとてもかわいい。

 月島の無の表情がすごい。つねに無。鯉登、部下に対してそのどや顔はどうなのか。弟気質か。あいにく月島は兄的感情など持ち合わせていないから「映像をちゃんと見たほうがいいんじゃないですか」くらいにしか思っていないよ。
 クズリに矢を射るアシㇼパにしっかり反応しているヴァーシャ、かわいいのきわみ。

 ウイルク、アシㇼパ母の映像公開。アシㇼパ母、めっちゃアシㇼパ似じゃないですか。いや逆だけど。表情まで遺伝している。ところでアシㇼパ母の名前があきらかになるときにはまた一波乱あるんだろうか。アシㇼパ母が狼だったウイルクを半分くらい人間にしたんだろうか。そのへん気になるなあ。
 そして一瞬のキロランケニㇱパ。ちょうどコタンを訪ねてきていたんだろうか。出産祝いかなにかで……キロランケの家族、どうしているのかなあ。

 火災。アシㇼパがやっぱり映像ではだめだと思ってくれたのがなんかよかった。やっぱりそういう残しかたではだめなんだよね。だめというか、それはアシㇼパの望む残しかたではないよね。やっぱりアイヌが生き続けることをアシㇼパは望んでいるんだ。アイヌ文化は和人との接触で変容しているかもしれないけど、途絶するのはわけがちがう。シネマトグラフでとったからって、そりゃ文化的価値はあるだろうけれど、残せるものではなかった。
 そのためにはたたかうしかないのかもしれない、というアシㇼパに、やっとウイルクの言葉をつたえる杉元。戦ってほしくないという杉元に、杉元が網走でウイルクに言っていたことをなぞるようにして非難するアシㇼパ。アシㇼパを杉元の思うような幸福に安住させることで、杉元が癒されようとしている部分はたしかにあるんだよな。もちろん、凄惨な戦争を生き延びた身として、戦争が取り返しのつかない喪失と変容を生むことを理解しているっていうのもあるだろうけど。
 アシㇼパたちはどうあっても「これからいやおうなく滅びゆく民族」で、たたかわなければ生き残れない。そのあたりが和人、シサムである杉元にはうまく飲み込めてない、というか、アシㇼパがたたかうかたたかわないか、で思考が止まっている感じがある。この齟齬がふたりの距離なのかな。アシㇼパはたたかわなければ守れないものについて、杉元はたたかうことで失われるものについて語っている。
 杉元はアシㇼパがたのしくヒンナヒンナしていれば満足かもしれないけど、アシㇼパは、自分が生むかもしれない、そしてこれから生まれてくるアイヌの子どもたちが、そして孫たちが、アイヌとしての文化をきちんと受け継いでいけるのか、樺太でキロランケが語ったように、カムイをいつの間にかすげかえられて、民族として完全に変容してしまわないかということまで考えなきゃならない。そのへんは杉元はピンときてないのかな。
 いやー、アシㇼパと杉元の対立、来てほしかったのでほんとうにうれしい。

 ただ、アシㇼパは「わたしはひとを殺したくない」と繰り返し言っているんだよね。その子がたたかわなければならないと考えたことの重さがつらい。ウイルクは、アシㇼパにひとの殺しかたは教えなかったし、ひとを殺すことを是とする教育もしなかった。でも、山でたたかえる子どもに育てあげた。途方もない量の金塊まで託して、そうしたウイルクは、いったいアシㇼパにどんな選択をしてほしかったんだろうな。マジのジャンヌ・ダルクで旗印で花沢勇作ルートを望んでいた……はウイルクさすがに日和りすぎだからないだろうけれども、アシㇼパはどんな選択をするのだろうね。

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