茨戸の洗礼を受けたので、同梱版は見送った。なんだあのクソアニメは。声優のむだ遣い。
17巻、表紙がヒャクノスケヤマネコだけに、中身もほぼヒャクノスケヤマネコが中心の話。いちおう樺太先遣隊もでてくるけれども、それもヒャクノスケヤマネコの話の補強と、あと先遣隊側の話の前振りといったところ。
まずはっきり目に付く加筆、ヴァシリの顔だよ。どうしたおまえ。シュッとしやがって。その下まつ毛はなんだ? あたらしいヴァシリ☆デビュー! ってかんじ。
ゴールデンカムイにおけるヴァシリの登場はなかなかセンセーショナルなんだよね。なぜならだれもが「こいつなに考えてるんだ……」と考えまくっているヒャクノスケヤマネコのことを、おおむね見通すんだから。同類なんだよ。
でもねことおおかみの化かしあいは、最終的にねこの勝ち。まあ視点がヒャクノスケヤマネコではなくヴァシリだったことからみえてましたよね。キロランケを見逃すことで結果的にふたりの仲間を爆死させてしまったときの、「生き死にを決めるのは狙撃手の私だ」というヴァシリの傲慢さがあだとなったかなと感じる。ヴァシリがヒャクノスケヤマネコを見通したように、ヒャクノスケヤマネコもまたヴァシリを見通しているということを認識していなかった。あるいは軽んじていた。その結果がヴァシリの敗着というかたちであらわれてしまったんだろうな。しかし、顎を撃ち抜かれたとはっきり描写されているので、生存フラグと思う。再登場するかも? リベンジマッチ期待してるぜ。
ヴァシリにウイルタのアンマーが狙撃されたあと、キロランケがそれを助けて命にかかわる傷ではないとわかったとき、キロランケは「カムイのおかげだ」といい、ヒャクノスケヤマネコは「俺のおかげだ」、「帽子のおかげ」と反論する。このへんにキロランケとヒャクノスケヤマネコのちがいがみえる。キロランケは目にみえないものを信じることができるが、ヒャクノスケヤマネコは目にみえるものしか信じられない。唯物主義。これは……ちょっと……あれですね。そうすると、ヒャクノスケヤマネコの捧げぐせは読者の知るところだけど、それもこの思考によるのかもしれない。母に鳥、父に母と勇作さん。あと、「母に愛されない(鳥を撃ってきても鍋にしてくれない)」、「父が来てくれない」というのも、「そういうものなんだ」と受け入れずに、「どうしてなのか」と思い詰めてしまいそうな感じがする。理由がないこともあるんだよ! ヒャクノスケヤマネコ!
江渡貝くんちで鶴見小隊の兵士に殺されようとするときには笑顔、杉元に助けられて不審げな顔をしていたのは、前者は「ほらこいつもおれを殺して罪悪感なんかないはずだ! おれと同じだ!」という気持ちと、「鶴見や小隊のやつらを裏切ったから、こいつは怒っていて、おれを殺そうとしている」と理屈が通るから、ヒャクノスケヤマネコにも理解可能で、だから笑顔をみせたんじゃないかな。対して、杉元は裏切り者はなんどでも裏切るといってあからさまにヒャクノスケヤマネコを嫌悪しているのに、助ける理由がわからんから「……」みたいな顔をしているんだろうね。と思った。
ユルバルスの件は……いまはちょっと置いておく……とりあえず、爆発寸前の爆弾に飛びつくウイルクの胆力、半端ねえということだけ。
雪の食べ過ぎでダウンしたヒャクノスケヤマネコが見ている勇作さんの幻覚、あれはアシㇼパを勇作さんと見間違えてるんだろうと思うんだけど。「ひどい熱だぞ」と言ってすぐあとに出てきた勇作さんが立っているのはヒャクノスケヤマネコの正面で、これはヒャクノスケヤマネコの熱を測ったアシㇼパがいるはずの場所。つぎに「寒くありませんか? 兄様」の場面は、そのあとにアシㇼパがヒャクノスケヤマネコを介助していることからして、あのそりをじっさいに操っていたのはアシㇼパのはず。アシㇼパが「寒くないか? 尾形」と気遣ってもなんのふしぎもないので、たぶんここの意識が混濁したヒャクノスケヤマネコはずっとアシㇼパを勇作さんとして幻視しているのだと思う。
そして回想スタート。一軒めどこ行ったんだろうね。そこそこ上品そうな店に行ったんだろうか。しかし、勇作さん、「兵営では避けられているような気がしていましたので」って言ってしまう! 素直すぎる! 「わたしの気のせいだったんですね、うれしいです♡」ってことなんだろうけれども、言わないよふつうそんなこと。勇作さんもいうて「みんなわたしとおなじはずです」族なのかな……さすが兄弟。
兄様にもう一軒と誘われて「もちろんお供いたします!」って言って頬を染めている勇作さんと、「女を知らんというのもあると聞いています」のコマの勇作さん、おなじ角度なのに表情がかわいそうなほどちがってウケる。かわいそう。
「男兄弟というのはいっしょに悪さもするものなんでしょう?」っていう台詞から、どうもこの言葉を最初に言ったのは勇作さんではないか疑惑が(わたしのなかで)ある。規律違反です規律が緩みますというヒャクノスケヤマネコに、「けれど、男兄弟というのはいっしょに悪さもするものでしょう」と勇作さんなりのユーモアとしてくちにしたことにカチンときたヒャクノスケヤマネコがやり返した、という感じで。勇作さんとしては二倍かなしい。一回目の否定。
いとこの家族の家にたどり着いて、儀式をはじめてから、ヒャクノスケヤマネコの外套のなかにあらわれる勇作さんがやっとアシㇼパではないただの勇作さんの幻覚もしくは幽霊なんだと思う。近い近いちょっと近すぎます勇作殿。
そして儀式でさわぐシライシとアシㇼパに「うるせぇ」と言ってるけど、ヒャクノスケヤマネコ、これ勇作さんに言った可能性イズあるよな。こわ。いや純粋にアシㇼパもシライシもうるさそうですけど。
ヒャクノスケヤマネコにとりついている「なにか」との因果、というかたちでふたたび回想がスタートする。鶴見登場。ヒャクノスケヤマネコがきちっと居住まいを正すのが意外というかなんというか……いや当然なんだけれども、このときのヒャクノスケヤマネコはまだ鶴見中尉にたらしこまれているんだろうか。たらしこんで見せましょうとか言ってる。鶴見中尉はヒャクノスケヤマネコに対しては塩というか、傷に塩を塗り込んで発奮させるという手法をつかうね。甘やかさない。そしてヒャクノスケヤマネコから見る鶴見はいかにも怜悧で酷薄そうな雰囲気が漂っている。さすが千変万化の男、鶴見。
シライシのおれといっしょに逃げよう、駆け落ちみたい。ということだけ語ってここもキロちゃんのことなので置いておきますね。キロちゃんのことはまだ評価できない。考察もできない。ソフィアの話が終わらないことにはな。
ヒャクノスケヤマネコの回想の鶴見中尉、いつもおなじような登場しておなじような顔してしゃべる。
もうすぐ夜明けの、小隊長殿(鶴見)に怒られるかもしれないような時間に、大事な話があるからと言われたからといってのこのこついてくる勇作さん、あまりにチョロすぎる。
おねだりにゃんこの「勇作殿が殺すのを見てみたい」。こわすぎでしょ。そりゃ勇作さんも手汗だらだらになるわ。これはアシㇼパに自分を殺すよう迫ったときとおなじなんでしょうな。おまえもおれとおなじ人間なんだから、おきれいな顔してないでそれを認めろと。
「父上からの言いつけなのです」と拒まれたときののヒャクノスケヤマネコの顔がさあ……父上はだれも殺さない息子を望んでたんだよ。勝手な解釈だけど、ヒャクノスケヤマネコはりっぱな兵士になって父上に認められたい、会いたいって気持ちがあったと思うんだよね入営当時は。でもりっぱな兵士になるために殺しまくってたのに、それを全否定だよ。
そして「ひとを殺したって罪悪感なんてない、みんなそうでしょ、みんなおれとおんなじでしょ」というヒャクノスケヤマネコを抱擁する勇作さん。いや、なぜ抱擁した……? わからん……でもグッジョブだ。そして「兄様はそんなひとじゃない、そんな人間がこの世にいていいはずがない」と。
このへんはどう解釈するかなやむ。ヒャクノスケヤマネコは、じつは罪悪感をもつ人間だけれど、自身の母を殺すという経験を肯定したいあまり、あらゆる殺人に罪悪感をいだかないふりをしているのか? それとも特異な境遇から、感情がそぎ落とされ、いわゆるサイコパス的な人間になってしまったのか? 前者だとしたら、ヒャクノスケヤマネコはじつはふつうの人間でしかない、ということで、それはいいんだけど、いままで提示されていたヒャクノスケヤマネコのような特異な人間はどこに感情の落としどころを持っていけば……? って感じだし、後者なら、そういう人間ってだけになってしまってそれもそれでつまらないなーという感じがある。
まあ、ちょうどいい落としどころをさがすとしたら、「ヒャクノスケヤマネコは特異な境遇から過剰に感情を抑制し、特殊な倫理観の持ち主だったが、勇作さんの生と死、アシㇼパたちとの交流で変わりつつある」かな……
そして勇作さんを撃つヒャクノスケヤマネコ。ふりかえる勇作さんは幻覚だと思うんだけど、一瞬眼が合ってるね。うっすら眼が見える。その勇作さんとヒャクノスケヤマネコの視線が交錯する場面、ヒャクノスケヤマネコのが勇作さんを見つめる顔と目を覚ましたヒャクノスケヤマネコがアシㇼパを見る顔がおなじ。そしてアシㇼパをみるヒャクノスケヤマネコの顔と、猛吹雪のなかで眠りかけた杉元が、アシㇼパの声とともに灯台の光を見つける顔のコマ、完全におなじなんだよね。ただ、杉元は光であるアシㇼパに救われたいし、守りたいし、助けたい。ヒャクノスケヤマネコは光ではなくただのおれとおなじ人間だと証明したい。ここがちがう。
ヒャクノスケヤマネコは、理解できない人間のまま勇作さんを殺してしまったから、こんどはちゃんとおれとおなじ人間だと証明したいのかも。アシㇼパの生死はどうでもよくて、その証明さえできたなら、ひるがえって勇作さんもおれとおなじ人間だったと証できると思い込んでいるんでしょう。それができないかぎり、ヒャクノスケヤマネコは勇作さんに(ヒャクノスケヤマネコの受け取り方的には)呪われつづけるわけだ。うーむ。
いや、あと単行本三分の一くらい残ってんだけど、もう文章が長すぎるのでここで切るね!? 補足は気が向いたら書く。