188話関連なのでたたむ。ちょっとぐちっぽい話。
予想はしてたんだけども、ツイッターとかでヒャクノスケヤマネコは成人なんだから子どもであるアシㇼパに救いを求めるのはおかしい、キモい、という論調があるのがいやなん……なんか、ちゃんとおとなになるだけの環境も助けもあたえられなかった子どもが、年齢だけでみられて「もう二十歳超えたんだから、ちゃんとおとなとしてのふるまいをしなさい。そうできないのは見苦しいことだよ」といわれるのがわたしはいちばんイヤ。
かといってアシㇼパに救ってあげて! って話ではなく、ヒャクノスケヤマネコが救いをもとめたとしても、アシㇼパは、ヒャクノスケヤマネコが子どもだろうとおとなだろうと無理して救ってやることはない。その理由を年齢にもとめることだけがイヤなんだよ。アシㇼパが子どもでもおとなでも、ヒャクノスケヤマネコが子どもでもおとなでも、アシㇼパにヒャクノスケヤマネコを救わなければならない義務はないし、そんなことする必要はないし、たぶんそうはならないと思う。というが杉元がそうさせないだろう。
まあ言いたくなる気持ちはわかるんだよ。成人男性が少女に救いを求める姿というのは非常にグロテスクだからね。ただ、わたしは、アシㇼパという子どもに対して、彼女をただの子どもでいさせてやってくれという気持ちがあるのと同時に、ヒャクノスケヤマネコという子どもでいられなかった子どもの成れの果てに対して、おとなとしてのふるまいを求めないでやってほしいと思ってしまうんだ。子どもでいられなかった子どもの成れの果てに、おとなを名付けるのは、わたしにとってはとてもグロテスクな行為なんだ。