大切な大前提なんだけど、わたしは好きなキャラが死ぬことに萌えるという性癖があるんで、そういうの無理というひとは読まないほうがいいかもしれない。
で、エルヴィン・スミスの話。彼はめちゃめちゃ最高の死にかたをしたよね。あまりに最高すぎて、わたしは、しばらく顔がニコニコしまくっていた。なんて最高なんだ! なんて最高の舞台の去りかたをさせてくれたんだ、諌山先生! そう思った。
エルヴィンが父親の一件をいまだに乗り越えられずにいる子どもであることは、それ以前のリヴァイとの会話で示されていたんだけど、その部分も最高、「夢をあきらめて死んでくれ」と。リヴァイは、エルヴィンに盲目的にしたがってきたわけではなくて、エルヴィンの狂気のごとき歩みが人類を前進させる、この男を超える推進力をもつ存在はほかにないと思ったから、エルヴィンを信じていたんだと思うんだよね。リヴァイは、「命令だ、従え」というエルヴィンに、「おまえの判断を信じよう」という。上官からの命令だからしたがうんじゃなく、リヴァイという個人がエルヴィンをまだ信じているから、エルヴィンの判断がただしいと信じて、行動することをリヴァイ自身が判断する。リヴァイの判断の軸はつねにリヴァイにあって、エルヴィンにゆだねることはしていない。
対して、エルヴィンの判断の軸はどこにあるかといえば、おとなのエルヴィンと子どものエルヴィンのあいだで揺れ動いている。リヴァイとの問答のところで言えば、「おれはいますぐ地下室に行きたい、死んだ仲間のことも生きている部下のことも、その後のことも知ったことじゃない」という子どもと、「仲間の死に報いるためにも、人類のためにも、たとえ自分が真実にたどり着けなかろうと、自分はここで死に、部下を死なせなければならない」というおとな。エルヴィンはいちおうはおとななので、こういう葛藤が起こったとき、無自覚ながらちゃんとおとなのほうの判断で行動していたと思うんだけど、上記の場面のときは子どもの判断が勝ってもおかしくなかった。ザックレーとの対話でエルヴィンは自分のなかの子どもを自覚し、それによって子どものエルヴィンがおとなのエルヴィンを押しのけつつあった。じっさい、この壁外任務にあたって、片腕になってしまったエルヴィンに対し、リヴァイが「おとなしく壁内にいろ」と順当な要請をしたのをはねつけて無理やり出陣している。これは子どものエルヴィンの判断でまちがいないと思う。「やだい! やだい! 地下室にいちばんに入るのはぼくだ!」という。
しかし、エルヴィンは結局おとなの判断を選んだ。「夢をあきらめて死んでくれ」というリヴァイの言葉で、エルヴィンはザックレーの対話以前、無自覚にそうしていたのとはちがって、子どもの判断とおとなの判断をならべて吟味したうえで、ようやくおとなの判断を選べた。ので、あのキラキラ笑顔の「ありがとう、リヴァイ」につながると思うんだな。最高じゃないですか。こんな最高の最期を遂げる人間がいる? いやまだエルヴィン死なないんだけども。
注射においてアルミンとエルヴィンが天秤にかけられるんだけど、メタ的にはここはね、アルミンが選ばれてしかるべきなんだよ。なぜなら彼は自分から夢を捨てて、託して、死地に飛び込んだから。だれになにを言われるまでもなく、自分自身の判断だけでそれができるのがアルミンだから。リヴァイに言われてようやく夢をあきらめられたエルヴィンとはちがうんだな。
まあ作中でのエルヴィンの死、アルミンの生は、アルミンを選んだためというのではなく、エルヴィンをここで死なせるためというリヴァイの私情によってもたらされたわけだけども。これもすごいよな、と思う。アルミンの人権とは? エルヴィンを安らかに死なせるためにアルミンを生かす。そのうえ「だれにも後悔させるな」とか言っちゃう。いやいや、勝手に選んでおいてなんだリヴァイ。ひどいじゃないか。ハンジにまで「わたしもエルヴィンに注射を打つべきだと思った」とか言われてしまうし、とにかくアルミンがかわいそう。
そんで、地下室の真実が明かされ、エルヴィンの夢の正体がエレンたちや読者につまびらかにされたあと、エレンたちは夢だった海にたどり着いて、物語にひとつの区切りがつくんだよね。これは夢の終わり。巨人という悪を駆逐すればすべてが解決するという調査兵団みんなの夢の終わりであるし、海の向こう、善悪の混在する世界とわたりあっていくという現実の始まりでもある。というわけでエルヴィンは夢を象徴する存在として、進撃の巨人という漫画の夢の時代とともに死んだとみてもいいんじゃないか。いいじゃないか。ええじゃないか。エルヴィンは夢の時代における英雄のふりをしたばくち好きのトリックスターで、上官というひとつの装置だった。部下たるエレンたちはときに従い、反発し、とにかくエルヴィンに引きずられるかたちで判断していればよかった。けれども、エルヴィンが死ぬことで、もうばくちによる起死回生はないし、彼らは粛々と現実を生きていくほかなくなったわけだ。まあ夢の時代の英雄であるエルヴィンは、現実の時代においてたぶん役立たずになったのではないかなあと思うけど、それはだれも知ることがないから、あくまで有能な指揮官として記憶されつづける。
いやー、おおかた妄想ではあるけど、漫画のキャラクターとしてこんな意味のある、最高な死にざまあります? 最高すぎて読むたび笑顔が止まらないんだよ。エルヴィンファンでよかった! 進撃読んでてよかった! あまりに満足すぎて、このさきの進撃をあんまり読めていないんだけど。いや、あまりにエルヴィンの死が完璧すぎて、ここからさきに進めないんだよ。
あと、エルヴィンとリヴァイの関係もエモいんだけど、エルヴィンとナイルの関係もエモいんだよな。エルヴィンはナイルのこと大好きだと思うんだよね。順当におとなになった男だから。エルヴィンは現在のナイルの妻マリーに恋慕を抱いていたと告白したけれども、あえてそういうということは、ナイルは知らないと思っていた、つまり、表出させることも恋のさや当てを演ずることもしなかったということを意味している。エルヴィンが結婚しないのは死ぬ可能性があるから、ということだったけど、無意識におとなになることを避けていたんじゃないかなあ。恋、ひいては結婚といった、おとなにならなければならなくなる事態から逃げていたんじゃないかな。だからマリーにも恋するだけでなにか行動を起こすことはなかった。
ナイルはエルヴィンが有能なガキであることを知っていたと思う。そして、「おまえ、いつか死ぬぞ」という思いと、「こいつは殺しても死なない」っていう思いを抱いていたんじゃないかな。最後の壁外調査のときも、当然帰ってくると信じていた。エルヴィンの死をナイルが知ったとき、どんな反応をしたんだろうなあ。めちゃめちゃ気になる。
わたしはナイルとエルヴィンのイメソンはNeru氏作詞作曲・鏡音リンちゃん歌唱の「脱獄」だと勝手に思っているので、ボカロが好きなひとはぜひ聞いてもらいたいと思うよ。
[MV] 脱獄 / Neru feat. 鏡音リン